正しさ・我慢強さ・謙虚さ |
育つ過程で、親や先生や先輩などから擦り込まれた「正しさ」は強力です。
何故なら、子供は親や先生に褒められることが
無意識に「自分が管理しやすい子にしたい。」という思いもあります。
植え込まれた「正しさ」は強力なので
自分を律するだけではなく、やがて周りにも、それを望んでいきます。
ただその「正しさ」「正義感」ゆえに、周囲の「正しくなさ」に不満を感じているようでした。
「正しい」人は自分や周りに厳しく、許せないことが多くイライラしてしまうので・・・。
でもその「正しさ」が独善的なものでない可能性はないのか?
何かを我慢しながら、「正しさ」に固執する人は・・・。
(よくSNSのコメント欄にいませんか?そんな手合いが)
「どうしてこんなに正しい私が、こんな目に?!
人は育つ過程で、親や先生、部活動などの先輩などからいろいろ擦り込まれます。
・不平不満をいわない
・「できません」「嫌です」などと言わずにできる限りがんばる
・自分の能力の限界までがんばる、など
・人からきちんとした人間、信頼できる人間と思われる。
実際うちのサロンのお客様は・・・。
職場や家庭で我慢しすぎて病気になると・・・。
「寒いな、つらいな。でも文句を言ったら嫌がられるかな。
と、我慢した結果倒れたり病気になってしまうと、周りの人は・・・。
「えーっ!?つらかったの?知らなかった。だったら言ってくれればいいのに。」
「寒くて具合が悪くなりそうだから、温度を下げてください。」と言えば・・・。
・自分自身を追い込んでいたとしたら・・・。
この擦り込みから解放される必要があります。ポイントはふたつ。
・その我慢は、次の成功につながるのか(消耗なだけではないのか)?
・身体が何か(痛みなど)訴えていないか。
自分にムダな我慢を強いることは、自分のエネルギーを低めて・・・。
この辺は、ぜひ時代に乗っかっていった方が、ラクですよ〜。
その分「謙虚でなければならない」という思い込みも強いです。
それはそれで、自分を追いつめます。
それは何か言う前に必ず「すいません。ごめんなさい。」をつける、というものでした。
「すいません、ごめんなさい、あじの定食です。」
「はい、すいません。ハイ、ごめんなさい。」という感じ。
私たちからしたら、すごく年上の人からずっと謝られている感じで・・・。
ある人を褒めても、「いえいえそんなことありません。」と否定されて・・・。
謙虚さも度が過ぎると、周りは疲れます・・・。
「よし、これで私は謙虚でいい人間と思われるぞ。」と。
「自己卑下」「自己否定」していると、周りにあるオーラが発散されます。
「謙虚なアタシ」に悦に入って・・・。
「コレさえ言っとけば、礼儀正しいワカモノと思われるだろう。」と、安売りしてました。
「謙虚さに悦に入ってると、周りから軽く扱われることになりかねないですよ〜。」
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